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「ば、ばかぁ!」

 と、その時、暁の頬に菜月の平手打ちが炸裂した。

「ぐへっ!」

 菜月の一撃を喰らった暁は、自分の意識が遥か彼方へと飛んで行くのを感じた。だが、頬を叩かれた痛みがすぐさま暁を現実へと引き戻した。

「あだだだ……」

 ジンジンと焼けるような痛さが頬に残っていた。暁は手で頬を抑えながら、熱くなっている部分を冷やしている。

 菜月が他の誰か暴力を振るうことはないが、暁だけは例外で事ある毎に暴力を振るっている。正確に言うと、暁以外にも菜月の暴力の犠牲になっている人間はもう1人いるのだが、残念ながらその人間は今ここにはいない。

 頬から痛みが退いた頃になっても、暁のクラスではホームルームが一向に始まる気配はなかった。何故なら、ホームルームを仕切る担任の先生が教室に入って来ないからだ。

「おかしいな……」

 暁は違和感を感じていた。普段の今頃なら、既にホームルームが終わっているはずだ。それなのにホームルームが始まるどころか、担任の先生が教室に入って来てさえもいない。

「忘れたの?」

 前を向いていた菜月は再び後ろを振り返って言った。

「何をだ?」

「ほら、忘れたの?前の担任の先生、辞めちゃったじゃない。だから、代わりに新しい担任の先生が来るって」

「ああ、成程」

 先日、暁のクラスの担当教師は一身上の都合とかで学院を辞めてしまっていた。そのため、急遽、新しい担任の先生が暁のクラスにやって来ることになっていたのだ。

 今の暁は過ぎたことは決して振り返らない性質で、つい最近の出来事でも忘れてしまっていることもしばしばだった。それはまるで過去と言う存在を頑なに拒んでいるようにも見えた。

 そんな時、ガラガラと音を立てながら、前方の教室の扉が開いた。新しい担任の先生が教室に入って来たのだ。

 だが、どういうわけか、暁の視界には新しい担任の先生の姿が映らない。新しい担任の先生の姿が見えないのは暁だけではなかった。菜月、角生、隼といった他の生徒達も周囲を見回しながら担任の先生を探している。

「はい、それではホームルームを行ないます」

 教卓の近くから、新しい担任の先生と思しき人の声が聞こえてきた。声から推察すると、どうやら、新しい担任の先生は女性らしい。

「ホームルーム始めるたって……先生はどこだよ?」

 そう言って、暁は席から立ち上がると、教室を歩き回って担任の先生を探し始める。

「先生、どこですか?」

他の生徒達も暁と同様、自分達の席から立ち上がって、教室を歩き回りながら担任の先生を探している。

必死になって先生の姿を探す生徒達だが、どうしても先生は見つからない。そんな生徒達に業を煮やしたのか、先生の声が聞こえてくる。

「皆さん、声のする方に来て下さい!」

 暁を筆頭にした生徒達は、言われるがまま先生の声のする方へとやって来た。すると、再び先生の声が聞こえてきた。

「そして、見下げて御覧なさい!」

 生徒達は目線を自分の足元へと落とす。その瞬間、全ての生徒達は「うわっ!」とか「きゃあっ!」などと叫び声を上げながら一斉に後ろへとのけぞった。

 そこに立っていたのは1人の女性だった。そこにいるのが普通の女性ならば何の問題はない。だが、その女性が他の女性達と決定的に違うのは身長だった。暁達の前にいる女性の身長はまるで小学生と見間違えてしまいそうなくらいに低いのだ。

道理でクラス中の生徒が必死になって探しても見つからないはずだ。生徒達は心の中で納得していた。

「うわ!ちっちゃい!」

 そう言うなり、暁は女性の頭を撫で始める。それに対して女性は抵抗を試みるが、身長で劣る暁の前では成す術がなかった。

「ちっちゃ〜い、ちっちゃ〜い!」

動物広場にいる小動物を弄る子供のように暁は女性の頭を撫で続けている。乱暴に撫でるので女性の髪は次第にくちゃくちゃにされていく。

「やめなさいっ!」

女性は暁の手を振り払うと、教師らしく毅然とした態度で言った。女性はさらに言葉を続ける。

「私は小さくなんかありません。普通です!」

「いや、小さいって」

 暁は女性の言葉を真っ向から否定した。負けじと女性も反論する。

「私は普通です!」

「小さい!」

「普通!!」

「小さい!!」

 一向に自分の身長の低さを認めようとしない女性。あまりの頑固さに業を煮やした暁は右脚を大きく振り上げた。その瞬間、クラス中の生徒達の間に緊張が走る。暁の脚が女性の身体に少しでも触れたりすれば、暴力事件として大問題になることは目に見えている。そうなれば、これは暁個人の問題ではなく、クラスの生徒達全員の問題になってしまうだろう。

 しかし、暁の右脚は女性の頭上を通り抜けて元の位置へと収まった。暁は女性の身長の低さをアピールするために自らの脚を振り上げて、頭上を通り抜けて見せたのだ。

 すると、見事なまでの暁の足業を称えて、生徒達の間からは賞賛の拍手が一斉に湧き起こった。

「もういい加減にしなさい!」

頭上を通り越された女性にとっては、屈辱以外に何ものでもなかったのだろう。半ベソをかきながら、両手をブンブンと振り回して暁に向かって行った。

しかし、女性の必死の攻撃も暁には全く通じなかった。暁は伸ばした右手で女性の頭を押さえると、身体全体を後ろへと退かせたのだ。これでは女性の拳は暁には届かない。

 まるで、幼い子供と大人との喧嘩のような構図にクラスの生徒達は笑わずにはいられなかった。教室中に生徒達の笑い声が木霊する。

 生徒の笑い声に気づいた女性は、両腕を振り回すのをやめると、身体全体を小刻みに震わせる。やがて、激流によって堤防が決壊するように女性の瞼からは涙が溢れ出した。

「うわあああああんっ!」

 幼い子供のような泣き声を上げながら、女性は逃げるようにして教室から走り去っていった。

 残された生徒達。やがて、生徒達は新任の先生を侮辱したと言う罪の意識に苛まされていく。同時に、学院全体を巻き込んだ事件に発展するのではないか?という恐れが生徒達の心を支配していく。

 すると、生徒の1人が暁にこんなことを言い出した。

「おい、日向!先生をからかったのお前だろ?謝りに行けよ!」

 その言葉に他の生徒達も「そうだそうだ」とか言って便乗する。生徒達は先生をからかった張本人である暁を生贄にすることによって、この問題を解決しようと考えているらしい。

「ふざけんな!お前らだって笑っただろ?」

 クラスの連中に必死の抵抗を試みる暁。確かに、先生をからかったのは自分だが、クラスの連中もそれを制止しようともせず、挙句の果てには先生のことを笑っていた。それならば、他の生徒達も自分と同様に先生の所へ謝りに行くべきだろう。それを全て1人だけの責任にするのは理不尽だ。

 だが、暁の発言は燃え上がる火に油を注ぐだけだった。その勢いはより激しさを増し、さらには暁を批難する発言が飛び交う有り様だ。

 それでも、暁が自分の主張を曲げることはしなかった。

「俺は絶対に嫌だね!」

 そう言うなり、暁はその場に座り込んで断固拒否の姿勢を示す。暁を批難する声はさらに激しさを増していくが、暁もそれに負けまいと必死になってその場に踏み止まる。

 そんな時、生徒の1人が名乗りを上げる。

「だったら、私が行くわ」

 名乗りを上げたのは菜月だった。先程まで罵詈雑言で溢れ返っていた教室は一気に静まり返る。

「私が暁と一緒に先生のところへ謝りに行く……それでいいでしょ?」

 菜月の言葉にクラスの連中も納得したようだ。暁も納得しないわけにはいかなかった。もし、暁がこの申し出を断われば、今度こそ命取りになりかねない。

「分かったよ。俺と菜月で謝りに行くよ」

 暁はゆっくりと立ち上がると、渋々ながらそう言った。

 こうして、暁は菜月と一緒に先生のところへ謝りに行くことになった。

 教室から出た暁と菜月は、先生がいる場所に向かう。先生がいる場所と言えば、恐らく職員室だろう。2人はとりあえず職員室を目指すことにした。

「全く子供なんだから〜」

 やれやれといった様子の菜月は、やんちゃな弟を叱る姉のような眼差しで暁を見ていた。

 同い年のくせして菜月は暁に対してたまに年上ぶることがある。暁はそんな菜月の態度が気に入らなかった。

「ほっとけ……」

 暁は菜月に聞こえないよう小さく呟いた。その小さな呟きは細長い廊下の中に吸い込まれていった。

 

 放課後、暁は整然とパソコンが机の上に並んでいる部屋にいた。そこは学院のコンピューター室であり、主に授業でコンピューターを使う時に使用している部屋である。

 学院のコンピューター室に設置したパソコンは最新式のパソコンであり、その性能は他の公立高校はもちろん、並みの大学に設置されているパソコンを上回っている。

授業で使用する以外にはコンピューターを使用するクラブ活動の場として使用されている。

暁はデジタル研究会と言うクラブに所属していた。デジタル研究会は学校のコンピューター室を活動の拠点としており、学校のHPの更新、CGの作成等が主な活動内容である。

暁の左右の席にはそれぞれ角生と隼が座っていた。インターネットのサイトを閲覧している隼に対して、角生はぎこちない手つきでパソコンのキーボードを叩きながら、タイピングの練習をしている。

これがデジタル研究会の実態である。デジタル研究会とは名ばかりのクラブで、実際はパソコンを使って好き勝手に遊んでいるだけの集まりだ。一応、角生が部長と言うことになっているが、まともにパソコンを扱うことが出来ないので、お飾りも当然の存在である。

「ふあ〜!今日も疲れたな〜!」

 暁が大きく腕を広げると欠伸をかくと、左隣の席に座っている隼が話し掛けてきた。

「ホントだよな〜!お前もとんだ災難だったな〜!」

ここで言う“災難”とは朝の例の事件である。

あの後、暁は菜月と一緒に新任の先生の所へと謝りに行った。最初は頑なな態度を取っていた先生だが、暁と菜月の一生懸命な謝罪で何とか機嫌を直してくれたのだ。そして、暁達は無事にホームルームを終了させることが出来たのだった。余談だが、朝の事件もあって、新任の先生は生徒達から“守られるべき存在”として扱われるようになった。

すると、それまで聞き手に徹していた角生が口を開いた。

「あのな、日向。いくら何でもあれは悪ふざけが過ぎるぞ」

「まあ、確かにな。それにしても変な教師が来たもんだな〜。確か野乃原結って名前だっけ?」

 すると、ここにいる3人とは違う別の声が暁の耳に入ってくる。

「私がどうかしましたか?」

「えっ!?」

 その声に反応した暁は、何気なく後ろを振り向いた。

「わおっ!」

 驚きのあまり暁はその場から立ち上がってしまう。艶やかな髪、幼い子供のような体躯、暁の目の前にいたのは、暁達の新しい担任の先生こと野乃原結と言う女性だった。

「あ、あ……野乃原先生、何でここにいるのでしょうか?」

 狼狽している暁は、結先生がどうしてここにいるのかを尋ねる。

「それはですね、私が新しいデジタル研究会の顧問になったからです」

 これまで、デジタル研究会には顧問の先生がいなかった。そのことが暁達を野放しにしている要因にもなっていたのである。

 暁達は結先生がデジタル研究会の顧問になった理由を即座に理解した。今、デジタル研究会は無法地帯と化している。そんなデジタル研究会は学院の上層部にとっては煙たい存在でしかない。そう、つまり、結先生は学院の上層部から送り込まれた刺客なのだ。

 結先生はさらに言葉を続けた。

「これから、デジタル研究会では週に1回、学校のHPの更新とレポートの提出をしてもらいます。それが長期に渡って滞った場合、デジタル研究会は廃部になります。皆さん、頑張りましょう!」

 ガッツポーズをして見せる結先生。結先生と同じく角生もガッツポーズを決めて、やる気満々の様子を見せる。

 一方、暁の中では、何かがガラガラと音を立てて崩れ去った。嗚呼、さらば、俺の心のオアシスよ……心の中で思わずにはいられなかった。

 そして、灰と化した暁はそのままガックリとうな垂れた。

 

夕食を食べ終えた暁は、自分の部屋でテレビゲームに興じていた。

 テレビゲームが好きな暁はシミュレーション、ロールプレイング、アクション等のあらゆるジャンルに精通している。その腕前はクラスでも1、2位を争うほどだ。

 今日、暁が選んだテレビゲームはシューティングゲームだった。今日のように鬱屈している時には、シューティングゲームで敵を撃ち落しながら、気分を晴らすに限る。

 朝の事件、放課後の部活での出来事、暁はそれらを忘れるかのようにゲームにのめり込んでいた。

 そんな時、暁の部屋の窓をコンコンと叩く音がした。それから、菜月の声が聞こえてきた。

「暁、いる?」

 部屋の窓が閉まっていたので、菜月の声は不明瞭だったが、暁には大体のことは分かっていた。

 暁は軽く舌打ちをすると、テレビゲームの電源を切って窓へと向かう。暁が窓を開けると、既に菜月が顔を出して待っていた。

「菜月、何?」

「何はないじゃない。暁、今日はお疲れ様」

「ああ、全くだ」

 そう言うと暁はボリボリと頭を掻いた。そんな暁の様子を見て菜月はクスリと笑った。

「何だよ?」

「暁は相変わらず面白いね」

「うっせぇな〜」

「でもね、私思うの。これから、もっともっと面白くなりそうな気がするの」

「へいへい、そうですか」

 それから少しばかり話した後、暁と菜月は互いにお休みの挨拶を交わした。

「暁、おやすみ」

「ああ、お休み」

 窓を閉めた暁は続いてカーテンを閉めた。カーテンに遮られて菜月の部屋が見えなくなる。一瞬、暁は菜月が遠い存在になってしまったように感じた。だが、そんな感情はすぐに消え失せる。

「さ、寝るか」

 暁は部屋の電気を消すと、蒲団の中に潜り込んで眠りに就いた。そして、眠りに就くことで、暁は今日と言う1日の終わりを実感していた。

 

第2段へとつづく


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