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あかつき

第1段

 青年は歩き続けていた。深い孤独と悲しみを胸に抱えながらさまよい歩き続けていた。先へと繋がる未来を目指して……

 

何も見えない何も聞こえない闇の中、日向暁はただ1人ポツリとその場に立ち尽くしていた。

 その闇は暁のことを傷つけることなく、身体と心を優しく癒してくれる。自分はただ、その闇に身を委ねてさえいれば良いのだ。

 暁が闇の眠りを貪っていると、静寂とは無縁のやかましい音が聞こえてきた。その音は何かを叩いている音のようにも聞こえる。

 その音を聞いている内に、周囲からは闇が消え去り、暁の意識は一気に覚醒へと向かって行った。

「うるさいっ!!」

 そう叫んだ暁は蒲団から飛び起きると、何処からその音が聞こえてくるのかを突き止めるために周囲を見回した。

 暁の視線の先に映ったもの、それは部屋の窓だった。

 暁は窓まで足を運ぶと、窓の射光カーテンを勢いよく開いた。

 すると、暁の目の前に1人の少女が現れる。学生服に身を包んだその少女は、暁を恨めし気に見つめている。

その少女を見るなり、暁は朝にも関わらず溜め息を吐くと、窓の扉を開けて言った。

「おい、菜月!朝からこんなことしやがって、安眠妨害だぞ!」

 少女の名前は鷹見沢菜月。菜月は暁の家の隣人であり、幼少期からの知り合いであり、そして、学校のクラスメイトでもある。所謂、幼馴染みの腐れ縁というやつだ。

 先程の音は菜月が窓のガラスを叩く音だったのだ。

 実は暁の部屋と菜月の部屋は近い位置にあるため、ベランダ越しに行き来することが出来るのだ。

「何を言ってるのよ。私が起こさなかったら、ずっと寝ているくせに!」

 菜月の言うように暁は朝の寝起きが悪い。誰かが暁を起こさなければ、暁は遅刻寸前まで眠っているか、下手をすると、学校の授業が始まる時間帯まで眠っている。

そのため、今朝のように菜月に起こしてもらうことが多い。と言うよりも、むしろ殆ど毎日、菜月に起こされていると言った方が正確なのかも知れない。

最も、暁自身、自分はもう子供ではないのだから、止めるようにと言ってはいるのだが、当の菜月本人は幼馴染みの使命だの何だのと言って、一向に止めようとはしない。

「さ、早く着替えて!遅れちゃうよ」

 菜月の言葉を聞いて、暁は机の上に置かれている時計に目をやる。

時計は午前8時の時を刻んでいた。まだ、安全圏内の時間帯だが、モタモタしていると遅刻してしまう可能性がある。

「分かった分かった。お前は外で待ってろ」

 そう言って、暁は右手で“早くその場から立ち去れ”という意味を込めた手の仕草を菜月にして見せる。

 心無い暁の言葉と仕草に菜月は怪訝そうな表情をしながら、暁のベランダから自分の部屋へと戻っていった。

「全く……」

 まず、暁は面倒臭そうに寝間着を脱ぎ捨てると、クローゼットから制服を取り出して、それらを身に着ける。

 次に、机の上に貼り付けられている時間割で今日の授業内容を確認すると、本棚から授業で使用する教科書とノートを取り出してはそれらを無造作に鞄の中に押し込む。

 それから、鞄を持ったまま1階の洗面所へと直行すると、洗顔と歯磨きを急いで終えて、鏡を見ながら櫛で寝癖を直して髪型を整えた。

 そして最後に暁はダイニングへと向かった。そこでは、暁の母親である美咲が朝食を作って息子を待っていた。

「暁、おはよう」

「ん……おはよう、母さん」

 暁は母親と朝の挨拶を交わすと、産卵するために浜辺へと上がってくる海亀のようにのそのそとテーブルの自分の席へと着いた。

 既に身支度を整えているのにも関わらず、未だ眠たそうな素振りを見せる暁。本当ならば、もう少し蒲団の中で寝ていたかったのだが、菜月のせいでそれも叶わなくなってしまった。

 暁は手で目をゴシゴシと擦りながら、今この場所にはいない菜月への悪態を吐いていた。

「ったく、菜月の奴……!」

 その間、美咲は暁のことを睨みながらも、黙ってほかほかの御飯と熱々の味噌汁をよそうと、それらを暁の前に差し出した。

 ダイニングのテーブルの上には御飯、味噌汁、漬け物、魚の干物が載っている。これが今日の朝食のメニューだ。

暁は無心にそれらを口の中へと運んで、胃の中へと押し込んでいく。

 そして、食事が一段落つくと、暁は熱いお茶を啜りながら、菜月への不満を母にぶつける。

「誰も起こしてくれなんて頼んでないのに、毎朝毎朝起こしに来て……こっちはゆっくりと眠れやしない。母さん、あいつを何とかしてくれよ」

「何を言っているのよ!菜月ちゃんがくれなきゃ、暁はずっと眠っているでしょ?菜月ちゃんには本当にありがたいと思ってるわ。むしろ、こっちが菜月ちゃんにお礼を言いたい

ぐらいよ!」

「でも、俺にとっちゃ余計なお世話なんだ!」

「そんなこと言っている暇があったら早く行きなさい。どうせ菜月ちゃんが外で待っていてくれているんでしょう?」

 母親の言葉に追い立てられ、暁は渋々ながら玄関へと向かった。

 畜生!あの2人……実は裏でグルになっているんじゃないだろうな?靴を履いている間、暁は心の中でそう思わずにはいられなかった。

靴を履き終えた暁は大きな声で叫ぶようにして言った。

「母さん!行ってきます!!」

「行ってらっしゃい!」

 ダイニングの方から美咲の声が聞こえてきた。

 玄関の扉を大きく開けると、日の光が暁の顔を照りつけた。

 家から出てきた暁を出迎えたのは、外でずっと暁のことを待っていた菜月だった。

 長い間、外で待っていた菜月は不満を暁にぶつける。

「遅い……!」

「ああ、悪い悪い」

 一応、謝罪の言葉は口にするものの、暁は別段悪びれている様子はなかった。そんなに待つのが嫌なら、起こしに来なければいいのにとさえ考えていた。

「さ、行くぞ」

 そう言うな否や、暁は菜月をその場に置き去りにする形でさっさと走り出した。

「あっ!暁、待ってよ!」

 置き去りにされてしまった菜月も慌てて暁の後を追いかけ始める。

「何で置いて行こうとするのよ!?」

 すぐに追いついた菜月は自分を置いていった暁をなじる。一方、暁も菜月に向かって反論を展開する。

 そのまま、学校に着くまで、暁と菜月はギャーギャーと他愛もない言い争いを繰り広げていた。その様子は仲が悪い猿と犬のようにも見えるが、長い間、連れ添った夫婦のようにも見える。

 日向暁の1日はこのような慌ただしい朝から始まる。

 

 満弦ヶ崎大学付属カテリナ学院、それが暁と菜月の通っている学校の名前だ。カテリナ学院は私立大学・満弦ヶ崎大学の付属高校であり、暁達の住む街の中でも名前の知れた進学校である。

 学院の設立の経緯は暁自身も詳しくは知らないが、私立の高校だけに学院の環境や設備は他の公立高校とは比べものにならない。

 口喧嘩が終わる頃には暁と菜月は教室の目の前まで来ていた。あまり時間はないが、遅刻する心配はなさそうだ。

そのまま教室の中へと入ると、2人の男子生徒が暁と菜月を出迎えた。2人のうち、1人はやや大柄の男子生徒でもう1人はやや小柄な男子生徒だ。

1人は生真面目を絵に描いたような男子生徒で、さらにはガリ勉君を象徴するかのように眼鏡まで掛けている。おまけに髪型も七三分けという徹底振りである。

もう1人の方はと言うと、前者とは正反対の顔つきをしており、他の男子生徒よりも子供っぽい雰囲気がある。それを象徴してか、まるでハリネズミのような髪型をしている。

赤沼角生と蒼山隼。それが2人の男子生徒の名前だ。暁のクラスメイトであり、高校1年生の頃からずっと3人で一緒にツルんでいる。

「おはよう。赤沼君、蒼山君」

 菜月は屈託のない笑みを浮かべながら角生と隼に挨拶する。

「よう。角生、隼」

 暁も菜月に続いて角生と隼に挨拶をした。だが、ハツラツとした菜月の挨拶と比べて、暁の挨拶はいい加減さが感じられる。

 角生は1度大きく溜め息をつくと、ギリギリの時間帯に登校してきた暁を説教し始める。

「お前、またギリギリの時間帯に登校していたのか。あのな、人間にとって1番大事なことはだな……」

 くどくどと説教を垂れる角生だが、当事者である暁はほとんど聞いてはいない。角生の説教は何も昨日今日に始まったことではなかった。遅刻寸前の時間に登校することの多い暁は、今のように角生から説教されることがしばしばだ。

 角生はクラスでも評判のスーパーウルトラ真面目人間で成績も優秀な完全なる優等生である。その生真面目さはそこらにいる教師や大人達以上かも知れない。単に生真面目だけでなく、融通が利かないところが余計に性質が悪い。

 別のことを考えて説教を適当にやり過ごそうとする暁だが、角生がそれを見逃すことはなかった。角生は暁に喝を入れて意識を自分の方へと注目させる。

「おい!暁、人の話を聞いてるのか!?」

「えっ?あっ、ああ」

 慌てて返事をする暁。暁が返事をすると角生は再び説教を始めた。

一方、隼は菜月をじいっと見つめている。嘗め回すような隼の視線に対して、菜月はこそばゆさを感じずにはいられない。

「鷹見沢は相変わらず可愛いな〜」

「えっ?そ、そう?」

 思いがけない隼の発言に戸惑いを隠せない菜月。隼から「可愛い」と誉められて、菜月は嬉しさと恥ずかしさを感じていた。

すると、今度は思いもかけない言葉をサラリと菜月に言ってみせる。

「鷹見沢が今穿いてるパンツをもらえないか?」

「え、ええっ〜!?」

 驚きのあまり菜月は思わず叫び声を上げてしまう。菜月の顔は既に真っ赤に染まっている。これは誰の目から見てもセクハラ発言であることは間違いなかった。仮に隼がセクハラで菜月に訴えられても文句は言えない。

 隼は角生とはまるで正反対の男子生徒である。子供のような幼い一面もあれば、今のようにアホな発言で周囲を困惑させることもしばしばだ。その分、ノリが良いのは確かなのだが……。

 その時、隼の後頭部に何かが直撃した。

「痛っ!」

隼が後頭部を抑えながら振り向くと、そこには角生が左手を握り拳に変えて立っていた。

「いきなり何すんだよ!?」

「朝から破廉恥な発言をするな!」

 隼は自分に鉄拳制裁を加えた角生に食って掛かるが、角生は正論で言い返してきた。

「しめた!今のうちに……」

 角生と隼が言い争っている隙に、その場から立ち去ろうとする暁だが、その目論見はあっさりと見破られてしまった。

「待て!まだ話は終わってないぞ!」

「は、はい!」

 角生に呼び止められて、その場から逃げ出すことさえも叶わない暁。弁舌に優れている角生は隼の反論をいとも簡単に論破すると、今度は再三に渡って暁を説教し始める。

 すると、朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが学院内に鳴り響く。

「おほん!今日はこれぐらいにしておくけど、もう少し余裕を持って登校しろよ?」

 最後にそれだけ言うと、角生は自分の席へと戻っていった。隼や菜月も既に自分の席に座っている。角生の説教地獄からようやく解放された暁はフラフラになりながら自分の席へと座り、そのまま机の上に突っ伏した。

「朝から大変だったね」

 そう言って、暁に話し掛けてきたのは、暁の前の席に座っている菜月だ。

「ああ、全くだ。あの野郎、偉そうに俺に説教しやがって……」

「そう?遅刻ギリギリの時間帯まで寝ている暁も悪いと思うよ?」

 菜月に正論を突かれて返す言葉がなくなる暁。だが、先程の隼と菜月のやりとりを思い出すと、暁は一気に反撃へと転じた。

「うるせぇな。朝から隼の奴に口説かれてたくせに」

 暁がそう言った途端、ボンッと言う音が菜月から聞こえてきた。同時に菜月の顔が一瞬にしてサクランボの実の如く真っ赤に染まった。

 恥ずかしがり屋の菜月は、恥ずかしい目に遭うと、今のように顔が紅くなることがある。なお、暁はそれを「瞬間沸騰」と呼んでいる。




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